『中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)』

2017年9月22日「放送大学の本棚」への投稿

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國分功一郎, 『中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)』, 医学書院, 2017

先日紹介した「大学で勉強する方法」の手法を取り入れて「ざっと読み」をかけてみました。なので、本の内容をちゃんと理解できた段階ではないと思いますが、とりあえずアウトプットしてみます。

國分さんは主にスピノザを研究している哲学者で、Twitterでも結構発言していて、注目を集めている人のようです。タイトルにもある「中動態」がキーワード。能動態でも受動態でもない態があるらしい。今の我々には能動でも受動でもない態など俄かに想像することも難しい感じがしますが、能動受動の概念は我々の言語に後から追加されたものらしい。そもそも古代ギリシアには「意志」という概念がなかったそうです。「エーそんなこと許されるのか」とびっくりですが、もともと「意志」がなければ能動も受動もないわけです。「意志」がクローズアップされるようになりそれとともに中動態は姿を消したのでしょう。

ところが我々がもはや手放してしまった中動態にこそ本質があるのではないか、というのがこの本のテーマみたいです。中動態という問題提起を行なった言語学者パンヴェニスト、それに文句をつけたジャック・デリダ、意志と選択を区別したハンナ・アレント、「意志」を真っ向から否定したアレントの師ハイデッガーなどが登場します。そしてスピノザの内在論を中動態の視点で見直します。最後にメルヴィルの遺作『ビリー・バッド』論が暗示的に語られます。

以上、「予告編」に過ぎませんが。

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