ドゥールーズ+ガタリ〈アンチ・オイディプス〉入門講義

2018年8月17日「放送大学の本棚」への投稿

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仲正昌樹『ドゥールーズ+ガタリ〈アンチ・オイディプス〉入門講義』(作品社,2018年)
先日福岡のジュンク堂で目についたので買ってきました。ドゥールーズ+ガタリの『アンチ・オイディプス』を如何に理解するかという解説本です。対象とされている『アンチ・オイディプス』は世の中が「ポストモダン」を意識していた頃、私も一度最後まで読みました。

〈それ〉ça は作動している。ときには流れるように、ときには時々とまりながら、いたるところで〈それ〉は作動している。〈それ〉は呼吸し、〈それ〉は熱を出し、〈それ〉は食べる。〈それ〉は大便をし、〈それ〉は肉体関係を結ぶ。にもかかわらず、これらをひとまとめに総称して〈それ〉le ça と呼んでしまったことは、何たる誤りであることか。いたるところで、これらは種々の諸機械 des machines なのである。しかも、決して隠喩的に機械であるというのではない。

こんな調子で始まり、間もなく「欲望する機械」「器官なき身体」という概念が導入されていきます。これがなんともとらえどころがない。よくわからない。多分「『アンチ・オイディプス』がさっぱりわからんぞ」という需要は結構世の中に蔓延しているものと思われます。そうであればこのような解説本がもっと早く世の中に出てきても良かった。
『アンチ・オイディプス』を解説したものは、これまでにたくさん出ていたのかもしれません。それでも『アンチ・オイディプス』は実はこういう意味だったと世間が納得した形跡はありません。このような中で「松岡正剛の千夜千冊」の1082夜「アンチ・オイディプス」https://1000ya.isis.ne.jp/1082.html の解説には、「やはりそういうことだよな」と激しく同意したくなるものでした。
そんなこんなで『アンチ・オイディプス』は私にはよくわからなかったものの、折につけその概念を持ち出して世の中の物事を考えてみる作業は続いていました(半分無意識ながら)。『アンチ・オイディプス』は多分こんなことを言っているだろうという、自分なりの問題意識は出来上がっているような気がしています。今回仲正さんのドゥールーズ+ガタリ〈アンチ・オイディプス〉入門講義』でその答え合わせみたいなことができるかもしれません。