確かに「産む機械」という例えはどの方向から見ても美しい表現ではない。それに反応する世論というのもまあわかる気はする。しかし、あまりに脊髄反射的なリアクションは危うい気がする。「女性を機械にたとえるなんてもってのほか」というたぐいの極めて視野の狭い議論ばかりが世の中を沸騰させているように思う。こうなると猫も杓子も、与党の議員にいたるまで口を揃えて批判するようになってくる。

少し冷静になって考えると、政策や経済やマネージメントなどといった「カタい」世界ではあらゆるモノを機械と見なして動いているのである。あらゆる物が「機能」し、「生産」するという前提で世の中を作り上げ、我々はそれにドップリと浸かっているという実情にもう一度気づこう。あらゆるモノを物や機械として世の中が動く事によって、便利になり豊かになったと我々はどこかの時点で割り切ったのではなかったのか。子供を産み育てるなどということはこういう効率重視の世の中にとって適応しづらい行為になってきたということだと思う。

「少子化対策」などという思考法はこういった効率のみを重視する「カタい」世界で生み出される。「産む機械」という発想はこういう政策の考え方から地続きで出てくるものだと思う。したがってこれを発言した柳沢厚労相は何でこの例えがまずいのか多分未だに理解出来ていないのではないかと思う。むしろ与えられた課題に対して極めて実直に考え行動しているのだと確信しているはずだ。こんな「良識的」で小物の政治家を糾弾してもしょうがないではないか。

もはや「産む機械」発言批判が一人歩きしている。問題なのは話を極力単純な形にしてピンポイントで吹き上がっている事だ。マスコミの論調は恐ろしくわかりやすい形で設定され、しかも怒る国民(特に女性)を演出しようとする。世の中は皆感情的に反応し、誰もこれに逆らえない空気が出来上がっていく。こういう事態は戦前にもあったように思う。あの天皇機関説問題だ。天皇機関説の内容も把握出来ないような浅薄な議員が「天皇を『機関』に例えるとは何事か!」といい出し、誰もこれに反論出来なくなったあの事件だ。

「産む機械」という表現に何故これほどまでに人々が違和感を抱くかという事の本質に思いをいたすべきである。「いけねえ、いけねえ、俺たちは機械になっちまうところだった。機械でない人間を取り戻すべきだ。だからうわべだけの便利さや豊かさはもうごめんだ。」という動きにみんながなっていけばいいんだが。